将来、宇宙開発の舞台は確実に月や火星といった、より遠い世界に広がっていきます。そのために欠かせない仕組みのひとつと考えられているのが惑星間インターネット(*1)です。衛星や探査機などの宇宙機と、月面などの拠点、そして地上の拠点の間で自由に情報通信が可能な、宇宙空間における未来のデジタルインフラストラクチャです。追跡ネットワーク技術センターでは、その核となる技術の開発を行い、ISO(*2)の国際規格として制定するために提案・検証を実施し、実現への大きな一歩を踏み出しました。これにより、経済産業省の令和6年度産業標準化事業表彰において産業標準化貢献者表彰を受けました。
インターネットを宇宙に拡大する
1960年代の終わり頃に誕生し、1980年代にアメリカで本格化したインターネットは、様々な異なるネットワークを相互に接続して情報や計算資源を共有したいという願いから生まれ、現在ではデジタルインフラストラクチャとして不可欠な存在になり、世界中で利用されています。極めてシンプルに言えば、月や火星など、将来の宇宙開発の舞台でインターネットを実現する仕組みが「惑星間インターネット」です。
現在の宇宙開発では、人工衛星や探査機などが地上局と1対1の関係で通信しています。この仕組みでは、例えば探査機が月の向こう側に隠れるなどして地上から見えなくなると、通信が途絶してしまいます。しかし、月面基地と地上の間に、複数の宇宙機が連携した「ネットワーク」があれば、これらを経由して通信が維持できます。これが惑星間インターネットの目指す仕組みです。
インターネットの原点に立ち戻る

その実現にはさまざまな課題があります。大きな課題の1つは、宇宙空間は地上と異なり圧倒的な距離があり、情報を転送する際に遅延やエラーが頻発するという点です。これを克服するためには、確実に情報を送受できる信頼性の高い情報通信技術が必要となります。このために、私たちは「遅延耐性/途絶耐性ネットワーク(DTN *3)」と呼ばれる情報通信技術の研究開発を進めてきました。近年、月探査計画などにも採用されるなど、DTNは惑星間インターネットの基盤技術としての発展が期待されています。
また、もうひとつの大きな課題は、様々な種類の異なるネットワークを相互に接続するためには、誰でも利用できる万国共通な通信手順の規約(国際規格としての通信プロトコル)が必要になるということです。このために、私たちは宇宙データ諮問委員会(*4)やISOという国際組織に参画して、DTNを国際規格にするという活動を行っています。
地上のインターネットでは、さまざまな異なるネットワークの相互接続を実現するためにTCP/IPと呼ばれる通信プロトコルがアメリカで開発され、世界中に広まり、商業的にも成功して今や不可欠なデジタルインフラストラクチャの基盤となっています。
人類の活動領域をより遠くへ広げるためには、宇宙空間で発生した情報を、宇宙空間に構築したコンピュータネットワークを介して収集・解釈・理解することで、人類の知見をさらに深める必要があると考えています。そのためには、宇宙空間に展開可能なコンピュータネットワークの在り方、すなわち惑星間インターネットを検討する必要があり、さらに、惑星間インターネットの実現手段として、宇宙という過酷な環境にも順応可能な通信プロトコルであるDTNを研究開発し、国際規格として提案・策定していくことが求められます。これが、私たちが考える研究開発の意義です。
宇宙開発における日本のプレゼンス向上に寄与
私の国際規格策定の取り組みは2007年から始まり、17年以上にわたり携わっています。その成果として、経済産業省の令和6年度産業標準化事業表彰において、産業標準化貢献者として表彰されました。これは、先に述べた惑星間インターネットの基盤技術として注目されるDTNについて、ISOの国際規格として制定した活動や、私自身がISOの宇宙データ・情報転送システム分科委員会(ISO/TC20/SC13)の国際議長に選出され、この分野の国際標準化活動を推進したことにより、日本の地位向上に貢献したと評価された結果です。
この表彰は大変ありがたいものですが、もうひとつの喜ばしい出来事として、人類を再び月に送る「アルテミス計画(*4)」に合わせ、月面での活動拡大を目指す通信アーキテクチャ「LunaNet」にDTNが採用された際、世界に認められたことにも大きな喜びを感じました。もちろん実用化はこれからですが、その必要性が理解されたことは最初の一歩として極めて重要であり、実用化に向けた取り組みをさらに推進しなければならないと決意を新たにしたところでもあります。
苦しくもあるが楽しくもある

現在の主な業務は、実用化に向けた技術の成熟度を引き上げることを目的とした研究開発です。将来、実際にDTNを宇宙空間で動作する機器や地上に設置する機器として展開し、惑星間インターネットを実現するため、どのような形態でDTN技術を機器として具現化するのが望ましいかを追求しています。
また、先に述べた国際規格の策定では、日本人に限らず世界中の方々と議論し、結論を導く必要があります。その過程では、さまざまな考え方や背景を持つ方々と協力および信頼関係を築き、一致点を見出すことが重要です。これには、実用化に向けた研究開発とはまた別の大変さがあると感じています。
大変さと同時に、さまざまな楽しさややりがいがあります。例えば、外国で異文化に触れたり、普段何気なく使っている物や技術の由来を突き詰めて考えたりすることです。このような機会が増えることで、見識や視野が広がります。このように、国際規格の策定では、結論を導く過程で困難が伴うこともありますが、その反面、楽しい面も大いにあり、業務の醍醐味だと感じています。
なお、個人的にはこの仕事を通じて、インターネット創始者のひとりであるヴィントン・サーフ氏(*6)とお話しできたことが大きな喜びでした。サーフ氏はインターネットのみならず惑星間インターネットの概念も提唱され、1990年代末にその検討を開始された方です。そのような概念を作り上げた方と惑星間インターネットおよび未来の宇宙通信のあるべき姿について議論できたことも、大きな意義だと感じています。
一歩一歩を確実に進める
惑星間インターネットの実現には、まだまだ時間がかかると考えています。新しいアイデアが次々と生まれる一方で、取り組めば取り組むほど課題も無数に出現します。私たちは、日々その課題を一つずつ解決しながら、我々が生み出した技術が宇宙機に搭載され、宇宙空間で活躍する日を胸に、一歩一歩確実に前進していくことを常に心がけています。
この研究開発や国際規格を作るという取り組みは、未来の宇宙開発を切り拓き支えるという、大変やりがいのある仕事だと実感しています。ぜひ多くの方に興味を持っていただき、特に若い世代の方々へ、この魅力を伝えたいと考えています。
また、さまざまな考え方や背景を持つ人々と対話しながら一つのものを作り上げていくには、語学を含む学生時代に培った知識や経験が大いに役立ちます。真剣に学んだことは、どのような分野でも決して無駄にはならないと信じています。ですので、現在宇宙産業に関わる進路を考えている方々には、今の取り組みを通じて知識や経験をさらに広げ、宇宙開発の未来を切り拓く仕事にぜひ参加していただけることを願っています。
*1:惑星間インターネット(Interplanetary Internet)
*2:国際標準化機構(International Organization for Standardization)。スイスのジュネーブに本部を置く非政府機関。貿易障壁を軽減する(国際的な取引や情報交換をスムーズにする)ために「公的標準」と言われる国際的な規格を制定する
*3:遅延耐性/途絶耐性ネットワーク(DTN:Delay and Disruption Tolerant Networking)。信号が途絶する可能性があってもデータがネットワークをシームレスに流れて最終目的地に到達する。通信機(ノード)の間で通信経路に障害が発生した場合には、回復するまでノードがデータを保存するなどでネットワークを確保する。
*4:宇宙データ諮問委員会(CCSDS : Consultative Committee for Space Data System)。 1982年にNASA等の主要宇宙機関により設立された宇宙データ通信システムに関わる国際標準化検討委員会。検討された推奨規格は、ISOの宇宙データ・情報転送システム分科委員会(ISO/TC20/SC13)へISO規格原案として提案される。
*5:アルテミス計画(Artemis program)。アメリカ合衆国が出資して推進する有人による月面探査計画。当初計画では2024年までに月面に着陸させることを目標としていた。
*6:ヴィントン・グレイ・サーフ(Vinton Gray Cerf)。アメリカ合衆国の計算機科学者。ロバート・カーンと共にインターネットとTCP/IPプロトコルの策定に大きな役割を担った。