軌道力学チームの取り組みの大きなひとつが、衛星の安全な運用に必要とされるSSAつまり宇宙状況把握です。元来、SSAは宇宙天気(Space Weather)や惑星防衛(Planetary defense)も含みますが、私たちが取り組んでいるはSSAの中でも、宇宙ゴミ軌道の把握です。また、その応用である衛星を守るための評価・解析も守備範囲です。
米国CSpOC(*4)は25,000個以上の宇宙ゴミ軌道を把握したうえで、各国の宇宙機に対して接近解析サービスを実施しています。宇宙ゴミ衝突回避運用では、米国からの接近通知を源泉として、衝突リスクが高ければ衛星に軌道変更指令が出されるわけです。この際、役割分担として、米国は接近通知を衛星運用者に送付するところまで、その先の衝突回避行動は衛星運用者の仕事となっています。
身近な事例に例えるなら、人間ドックを行い結果通知までは米国で、処方箋を書いて完治させる役割は衛星運用者となっています。お気づきの方もいると思いますが、実は、人間ドックの後の精密検査が抜け落ちています。
ところで、SSAの基本は観測です。まさに2022年度、JAXAの新SSA設備が試行運用に入ります。JAXAは旧SSA設備で「これ」と決めた物体を確実に観測する能力を磨いてきました。その技術が生かされる時がきました。新SSA設備により、まさに、精密検査に相当する宇宙ゴミ軌道を的確に把握するでしょう。理想的な宇宙ゴミ衝突回避運用に近づく事ができます。その結果、より安全な宇宙機運用が可能になります。更には、宇宙ゴミの観測データを多数保有する事も可能となるので、研究の幅が広がると考えています。
SSA活動の応用として、衝突回避の処方箋を作成するツールとして「RABBIT」を開発し、世界に公開しました。米国からの接近通知を読み込ませると危険度や回避手段を視覚的に表示しますので、軌道専門家がいなくても、JAXA同等の品質で衝突回避計画作成が可能となります。すでに小型衛星を中心に、多くの方が利用してくれています。
また、もうひとつの成果としてお伝えしたい物がレーザ反射器「Mt.FUJI」です。どんな宇宙機も将来は宇宙ゴミとなります。事前にレーザ反射器を取り付けておけば、デブリになった後でも地上からレーザ光で「ここにいる」と計測できます。従来のレーザ反射器は、大きく重く高価でした。ミッション遂行にレーザ測距による精密軌道が必須でなければ反射器は搭載されません。
一方、Mt.FUJIは直径12cmほどの小型化が図られ、軽量・安価です。搭載を躊躇する課題を払拭したので、宇宙機に搭載されることを願っているところです。開発では熱、振動、衝撃、真空等の各種試験実施のハードルは高かったのですが、JAXAのさまざまな部門から知恵を借りて完成にこぎ着けました。多くの専門家が蝟集するJAXAの強みを生かせたと自負しています。現在、通信や気象予測をはじめ日常生活は衛星技術に支えられています。その衛星の安全を守り宇宙開発や宇宙産業の持続可能性を高める宇宙ゴミへの対応は、いわば宇宙版SDGs(*5)だと考えます。
最近の自動車に衝突安全装備が搭載されているように、世界の誰もが宇宙ゴミ接近時にRABBITが示すような衝突回避手段をごく当たり前に実施できるようになり、宇宙ゴミの存在を気にせずにいられる時代が来て欲しいと切に願います。私たちの挑戦を「昔の軌道職員は苦労したみたいだね」と笑い話にしてほしいと思います。そうなったときには、後進たちは軌道力学の別領域の研究に邁進していると思います。
*1:SSA…宇宙状況の把握(Space Situational Awareness)。
*2:RABBIT…デブリ接近衝突確率に基づくリスク回避支援ツール(Risk Avoidance assist tool based on debris collision proBaBIliTy)。
*3:Mt.FUJI…衛星レーザー測距用小型リフレクター(MulTiple reFlector Unit from Jaxa Investigation)。
*4:CSpOC…連合宇宙運用センター(Combined Space Operations Center)。地上や宇宙空間の観測機器などでスペースデブリや各国の衛星を監視し、各国政府や衛星事業者に提供するアメリカ国防省の機関。
*5:SDGs…2015年の「国連持続可能な開発サミット」で採択された持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)。17のコールと169のターケットが示されている。