今後の宇宙開発では、私たちが利用しているインターネットのような、さまざまな宇宙機と地上局が結びついて相互に情報を伝えあう新しい通信インフラが求められます。人類の活動領域が惑星間に広がるのに合わせて拡張した、いわば惑星間インターネット(Inter Planetary Internet:IPN)という考え方。これを実現する鍵がDTN(*1)です。追跡ネットワーク技術センターではいま、民間企業や海外機関と協力してDTNの技術研究と実証実験、国際標準規格の策定を進めています。
利便性の高い通信を実現するDTN
地上のインターネットはワールドワイドウェブ(World Wide Web)と言われるように、世界中の無数のネットワークが網の目のようにつながり、相互に信号を中継・伝送しています。通信ごとに多くの中継機器を介したルーティング(最適な伝送ルートの選択)が自動で行われ、どこかで通信状況の悪化や通信切断があっても異なるルートでデータが伝送されることで接続が保たれるので、地上のどこでも自由なタイミングで通信できます。これと似たような仕組みを宇宙で実現する技術がDTNです。
これまでの宇宙における通信では、地上局と宇宙機とが一対一で電波を送りあう方式が基本でした。両者が互いに見えているタイミングでないと通信できない(電波が届かない)などの不便さがありますが、まだ大きな問題にはなっていません。でも今後、衛星やローバー(月面や惑星面の探査車)など地球近傍や月・火星周辺、さらに遠方での宇宙機の増加が見込まれており、一対一の接続の確保に地上局も増やす必要があり、施設や運用のコストが膨大になります。加えて、宇宙機とやり取りするデータ量も増加してきているためこれまで以上により効率的なデータ伝送も求められるようになってきています。そこで多くの宇宙機を網の目のようにつなぎ、ルーティングによって信号を中継・伝送しあうインターネットのような仕組みの、より利便性の高い通信が求められています。
しかし宇宙でこれを行うには多くの課題があります。地上では2つの地点がどんなに離れていても…たとえば日本とブラジルでも2万kmほどですが、宇宙…特に惑星探査などでは数千万~数億kmもの距離になり、電波が届くのにけた違いに時間がかかるために、通信時間に遅れが生じます(通信遅延)。また宇宙は通信データの誤りが非常に起きやすい環境で、たとえば大気や雲の中を貫いて電波を送る場合などはエラーが起きがちです。地上では通信品質が高い有線による通信が可能ですが、宇宙では不可能です。さらに宇宙機は刻々と位置を変えるため地上局と宇宙機あるいは宇宙機同士でもたとえば地球と月の裏側のように、位置関係によって通信できない時間帯が発生し、通信が途切れる場合があります(通信途絶)。
このように通信遅延や通信途絶が発生する宇宙のような通信環境下では、インターネットの仕組みはそのままでは正常に作動しません。まったく新しい仕組みが必要で、それがDTNです。
データを蓄積し転送、エラーしたデータも自動で再送する
DTNでは多数の宇宙機を介してインターネットと同じようなルーティングを行い、中継を繰り返して情報を目的地まで届けます。そのための重要な技術のひとつが「蓄積転送方式」です。
宇宙機などのルータが送信データを受けて別のルータに中継するとき、次の中継ポイントが必ずしも通信可能とは限りません。地上なら通信可能な別のルートで送りますが、宇宙では別ルートがない場合もあります。送信側から受信側まで全部が常につながっているわけではないのです。ですからどこか中間地点でデータを保存しておかないと、受信側に届くデータが不完全になります。
そこで各中継点のルータごとにデータをいったん蓄積しておき、次の中継点が通信可能になったら送るということを繰り返します。これによって完全なデータを送り届けるのが蓄積転送方式です。また宇宙機は移動して通信状態が変化しネットワークの形が時々刻々と変わるため、DTNの各ルータは互いの軌道情報を基にして最適なルートを自動で選択します。
さらにDTNは、通信遅延や途絶に対する耐性をもちつつエラーが生じた場合には、エラーデータを効率的に自動再送する仕組みも備わっています。これまで、宇宙機と地上局との通信ではデータにエラーが生じた場合には、運用者のマニュアル操作でデータの再送が行われることが一般的でした。そのためエラーデータの自動再送機能を持つDTNによる通信が実現すればこれまで以上に効率的な通信が可能となります。加えて地上で使われているインターネット技術ではエラーが生じるたびに送信側と受信側で複数の通信手順を交わし接続性を確立した後、エラーが生じたデータを再送します。一方、宇宙空間でエラーが生じるたびに接続性の確認を行っていては物理的距離が大きいため接続確立に時間を要し効率的なデータ再送が行えません。そこでDTNでは非同期にデータ再送を行う仕組みが備わっており、宇宙空間では地上のインターネットと比べても効率的なデータの再送が可能となっています。
そしてDTNによる惑星間インターネットが実現すれば、末端の利用者はアクセスするポイントを地上に作るだけで、新たなネットワークを整備しなくても惑星間インターネットを経由して探査機や惑星表面への通信も可能になります。利用者にとってきわめて便利な宇宙通信で、宇宙開発の推進に寄与するでしょう。
ただ、これらを実現するには技術的な開発ももちろん、データ形式やデータ処理手順などの通信ルール(プロトコル)などの世界レベルでの統一が必要です。国や官民ごとの考え方の違いから、通信機器がそれぞれ異なる動きをすればネットワークが成り立ちません。つまり世界的な合意の形成と国際標準規格の策定が不可欠です。いま、国際標準規格を策定するCCSDS(*2) などの主要な標準化団体で、JAXAをはじめNASAやESA(*3)など世界の宇宙機関で規格に関する協議を行っています。
手探り状態から成果を積み上げていく
JAXAでは15年ほど前からDTNの取り組みを始めました。新たな月探査や惑星探査において、地上のインターネット技術を惑星間などの宇宙空間に応用する検討がはじめられた時期です。その後、アルテミス計画(*9)のような国際宇宙探査の気運が高まることによって、DTNの開発もいま加速度的に進んでいます。
私は2020年からDTNの研究開発を担当しています。DTN担当はもう1人の合計2人ですが、メーカーの方々と協力体制を組んで進めています。ざっくばらんに何でも話しあえる雰囲気で、さかんにアイデアを出しあい試行錯誤を繰り返すという、まさに研究開発の現場。人数的には少ないですが、自分としては少数精鋭と申し上げたいチームです。その中で私はいま、国際的な標準作りとDTNを実際に宇宙機に搭載する研究開発、加えて民間事業者とのDTNを用いたビジネス創出に向けた取り組みなどを行っています。
難しいのは具体的な成功事例が世界的に存在しないこと。新しい技術を創造していく分野なので何が正しいかの判断はとても難しく、まさに手探りを続けています。逆に成功すれば世界初…という魅力もありますが、参考になる例が何もないのはとても苦労します。その中で考えたコンセプトが計画通りに動き、狙った性能が出たときは大きな喜びを感じます。
衛星搭載を見据えたDTNの高速化研究では、メーカーの方々とも協力し何度も議論や試行錯誤を重ねて研究開発にあたってきました。その結果、世界的にみても非常に高い性能でDTNによる通信を実現するに至りました。この研究成果は論文として取りまとめ2023年3月6日にドバイで行われたSpaceOps(*8)という国際会議で発表し他宇宙機関からも大きな評価をいただきました。このような成果がだせ他宇宙機関からも評価いただいたことは、個人的にもとても嬉しく感じています。
また民間との共同研究でDTNのビジネス応用を検討する分野で、ソニーCSL様(*4)と組んだJ-SPARC(*5)のプロジェクトとして、エラーが起きやすい環境での転送の実証を行い、成功しました(*6)。JAXAのDTN技術とソニーCSL様の技術や理解の深さが組み合わさった成果だと感じています。この成果もソニーCSL様との共著論文として取りまとめ外部公開できる成果となったことは、嬉しく感じています。
このように研究成果を世界に発信し、JAXAのプレゼンスを高める重要性も感じています。DTNの意味や必要性を広く理解していただくことでニーズも高まるし世界標準の策定も進むでしょう。JAXAにおけるDTNを用いた宇宙機への適用の一例として、「国際宇宙探査シナリオ(*7)」で示しているように2030年代での月探査シナリオへの適用を想定し、宇宙機に載せて動かすための開発を急ピッチで進めています。
今後100年の標準をいま私たちが作っている
DTNは今後の宇宙開発の基礎となるいわば宇宙のインフラです。単に地球上で使われてきたインターネットの拡大版ではなく従来の宇宙通信とはまったく異る新しい技術。今後の宇宙での通信のスタンダードとなり、今後100年は使われていくように研究開発を進めていきたいです。地球上で使われてきたインターネット技術も革命的な発明でしたが、それと同じように宇宙で使われるインターネット技術であるDTNも革命的な通信技術です。電話回線からインターネットになった地上での通信技術の進化と同じように宇宙での通信技術の劇的な進化に、いま立ち会っていることにわくわくしています。その開発にたずさわれることはとても貴重な体験ですし、入社わずか3年目で担当できたのはまことに幸運だと思います。若手の内から大きなチャレンジを任せてくれるJAXAの風土や、後押ししてくれる追跡ネットワーク技術センターの職場環境に感謝しつつ、研究開発に取り組んでいます。
*1:DTN…遅延耐性/途絶耐性ネットワーク(Delay and Disruption Tolerant Networking)。
*2:CCSDS…宇宙データシステム諮問委員会(Consultative Committee for Space Data System)。各国の宇宙機関により1982年に設立された、宇宙データ通信システムに関わる国際標準化検討委員会
*3:ESA…欧州宇宙機関(European Space Agency)。1975年に国際条約に基づいて設立された国際機関で、宇宙開発の推進においてヨーロッパ各国の協力を目的とする。
*4:ソニーCSL…株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所(代表取締役社長:北野宏明)。
*5:J-SPARC…JAXA宇宙イノベーションパートナーシップ(JAXA Space Innovation through Partnership and Co-creation)。民間事業者などとJAXAとが共同で事業コンセプト検討や技術開発・実証などを行い、新しい事業を創出するプログラム。
*6:…プレスリリース(2022年1月27日)「ソニーCSLとJAXA成層圏や宇宙でのインターネットサービスの技術基盤となるエラー発生環境下での完全なデータファイル転送の実証に成功」
*7:国際宇宙探査シナリオ… JAXAが考える国際宇宙探査における目標や、開発全体のしくみ、科学・技術の各ロードマップ、具体的なミッションの検討などの、我が国が今後行っていくべき国際宇宙探査のグランドデザイン案をまとめた文書。2022年4月27日に「日本の国際宇宙探査シナリオ(案) 2021」を発表。
*8:SpaceOps…「宇宙運用に関する国際会議((International Conference on) Space Operations)」。宇宙ミッションの運用や地上データシステム全般にわたる技術交流や宇宙運用の専門家の国際コミュニティ促進を目的として隔年開催されている国際シンポジウム。
*9:アルテミス計画…米国が提案している月面探査プログラム。月面に人類を送り、ゲートウェイ(月周回有人拠点)計画などを通じて、月での人類の持続的な活動をめざす。