飛行している衛星など宇宙機の軌道は、さまざまな要因により計画と実際とで差が生じます。この“実際の”軌道を把握するのが軌道決定で、特に地球観測衛星などで求められる超高精度に応える技術が「高精度軌道決定(POD (*1))」です。さらに将来、月をはじめとした遠くの宇宙に人類が活動範囲を広げていくときには、たいへん重要な技術要素になっていきます。軌道決定の正確さは、宇宙開発を支える追跡ネットワーク技術のさらに屋台骨を支える技術といえるでしょう。

衛星の成否を左右する軌道決定技術

軌道力学チームに所属して、主に高精度軌道決定やSLR(*2)局の整備・運用にたずさわっています。この軌道決定とは既に宇宙を飛行している衛星など宇宙機の軌道を、観測と推定によって決めることで、精度や目的によっていくつかの方法があります。最も基本的な方法としては地上のアンテナから電波を出して衛星からの反射波をとらえ、往復時間で距離を測って位置を割り出す方法が知られています。また近年では多くの低~中高度軌道衛星がカーナビでも利用するGPS衛星の信号を使って自身の位置を求めています。これらのデータをもとに計算して軌道を決定すれば、ある時間に衛星が宇宙のどこにいるかが算出できるのです。

この場合の軌道の精度は、状況によって数mから数100m。これは通常の衛星運用…たとえば交信のために衛星の予測位置にアンテナを向けるなどの目的には十分な精度です。でも、もっと高い精度…というより数mmでもより高い精度が求められる衛星も少なくありません。たとえば海面高度観測衛星(*3) や重力場観測衛星(*4) 、またJAXAの地球観測衛星「だいち2(ALOS-2)」(*5) などです。

「だいち2」では地表面の数cmほどの変化を観測していますが、そのためには衛星の軌道を数cmより細かなオーダーで決める必要があります。地震による地表面の変化をとらえるなど災害の状況把握にも大きな成果をあげていますが、「だいち2」が取得したデータを画像処理する際にはそのデータがどの位置で取得されたかが非常に重要になります。このような衛星にとって軌道決定の精度はミッションの成否を左右する重要課題で、このとき用いるのが高精度軌道決定です。

月のまわりでの高精度軌道決定を実現する

高精度軌道決定もGPS衛星からの信号を利用します。GPSのデータには2種類あり、そのひとつの擬似距離というデータ(衛星や地上の計時誤差などを含む距離の情報)を使って計算すると数mの精度が得られます。さらにもうひとつの搬送波位相というデータを加えて計算すると1~2桁の精度アップが可能になり、cmオーダーでの軌道決定が可能です。このレベルの技術を私たちは「高精度軌道決定」と呼んでいます。

現在は地球周辺の衛星に対して使っていますが、将来はより広い範囲で使えるように改良していく必要があります。たとえば人類が月面で活動するようになれば、いま私たちが地上で使うGPSのようなしくみが月面上でも必要になります。このときに月のまわりに地球のGPS衛星のような衛星を飛ばすことになりますが、この月のGPS衛星の位置は地球のGPS衛星で決めることが想定されます。月面で精度の高い測位システムを構築するには月のGPS衛星の軌道決定精度を高める必要があり、それには現在の高精度軌道決定を月のまわりでも使えるようにする必要があるわけです。

このように高精度軌道決定は人類の活動範囲を広げるために重要な技術で、今後に大きな可能性を持っています。いま、まずは月での活用を目指した挑戦を始めています。

モノづくりの充実感を感じたSLR局建造

高精度軌道決定での大きな課題のひとつは、計算結果をどうやって確かめるかという点です。最高の精度で決まるので他の計算方法と比較できないんですね。そこでこれまでにない高精度で衛星の位置を測り、計算の結果とつき合わせて調べる方法がとられます。このときに用いるのがSLR(Satellite Laser Ranging)で、レーザー光を使って高精度に距離を測る技術です。

またSLRによって計測したデータは、測地学の専門家によって地球座標系の精密な定義に…つまり地球の大きさや重心、自転軸の方向などを精密に調べるためにも利用されています。その他にもさまざまな応用の広がりがある技術です。

JAXAのSLRは以前は種子島にありましたが、現在は新システムがつくば宇宙センターで運用されています(2023年6月運用開始)。私は入社1年目に上司からの指示で新システムの試作に取り組みはじめたのですが、最初はSLRの知識がゼロでしたので必死で勉強しました。NICT(情報通信研究機構 (*6) )におられる専門家のところに通い詰めて、いちから全部教えていただくという修業みたいな時期を過ごしました。試作段階では、十分に計算したはずなのにやってみると結果が違うとか、逆に調整してるうちにちょうどよいスポットが見つかるというような、モノづくりならではの経験をしました。

その後5年ほどかかって昨年の秋にできあがった新システムは、プレハブほどの大きさの建屋上に直径4mのドームが載っている建造物。巨大アンテナなどと較べると大規模とはいえませんが、自分としては大規模工事でした。整備の終盤に初めてデータが取れた瞬間は、5年間の苦労が報われた感じで感慨深かったです。

SLR局はまだ世界に数が少なく、合計で40ほど。このためSLR専門家の世界的なコミュニティも小さく、そのぶん結びつきが強いです。国際的な会合でも互いの活動に関心が高く、国外の研究者からひんぱんに意見を求められます。自分のやっていることが世界的にも価値があると実感でき、大きなやりがいを感じる部分です。

軌道決定データで新発見

もうひとつお話ししておきたい感激が「TAKUMI (*7) 」プロジェクトの中でありました。「TAKUMI」は先にお話しした高精度軌道決定に使うソフトウェアで、私はその機能改善に取り組んでいます。その中でこの2~3年、静止軌道にある光データ中継衛星(光データ中継衛星 (*8) )のGPS受信機で得たデータを「TAKUMI」で解析するという、世界でも例のない試みを行いました。

GPS信号電波は、高度約60~1000kmの高さにある電離層(*9) の影響を強く受けることが知られています。しかし光データ中継衛星は高度約3万6000kmの静止軌道にありGPS衛星は高度約2万200kmなので、この間はプラズマ圏(*10) と呼ばれるごく薄い電子の層があるだけで、電離層の影響はないはずと思っていました。ところが解析の結果、プラズマ圏を通った電波にもかなりの影響があることがわかりました。地球付近の宇宙空間についての新発見でとても感激しましたし、軌道決定のためのデータから宇宙空間のことが解析できたという面からも、興味深い成果だと思います。

この高精度軌道決定ツール「TAKUMI」は、日本版GPSである準天頂衛星をはじめとする測位衛星の軌道を精密に決めるために作られた「MADOCA(*11) 」というソフトから分岐して生まれ、測位衛星だけでなく通常の衛星の軌道決定にも使えるように開発したものです。その機能改善はプログラミング作業ですので、SLR局整備のような実際のモノづくりとは少し異なる雰囲気があります。考えたアイデアをすぐに試せるという点では、やりやすい面もあるかもしれません。ただ、その中身を理解することがとても大変で時間がかかりました。

大学時代は純粋数学の確率論を研究していて、問題を解くためにじっくりと粘るクセというか力をつけることができました。JAXAに入ってからも難しいことわからないことはもちろんたくさんありましたが「考え続けていれば何とかなる」という感覚が自分の中にあります。「TAKUMI」の中身の理解はプログラミングの知識すらなかった自分にとって最大の時間をかけて取り組んだ課題で、すき間時間を見つけては1年ぐらいずっと自分なりに整理を続けてきました。ようやく考えが反映できるようになり、メーカーさんとの打ち合せでも一人前に議論できるくらいになれました。

軌道のスペシャリストを目指す

SLRにしろ高精度軌道決定にしろ、一般の皆さんがお持ちの宇宙開発の印象とはかなりかけ離れているかもしれません。でも、すべての衛星ミッションで追跡ネットワーク技術が必要不可欠で、その根幹にあるのが軌道決定…宇宙開発の根っこを支えているという気持ちで取り組んでいます。

私はもともと深宇宙ミッションに興味があったので、深宇宙での技術開発を考えることもありますが、やはり当⾯のテーマは高精度軌道決定を月の近くまで拡張することです。ゆくゆくは計画段階から衛星の軌道をデザインすることを含め、軌道についてのあらゆる分野を扱う軌道のスペシャリストを目指しています。

プライベートでは体を動かすことがけっこう好きで、実は高校のときにある有名ダンスユニットのコンサートでステージ袖のダンサーをやった経験もあるのですが、将来的にはいま2歳の息子とサッカーの海外観戦するのが夢ですね。もちろん科学技術の話もしたいです。

軌道決定というと常にコンピュータと向き合っているイメージが強いかもしれませんが、私のようにダンスやスポーツが好きな人間も関わっていること、覚えておいて頂ければ嬉しいです。

*1:高精度軌道決定(POD)…PODはPrecise Orbit Determinationの略。
*2:SLR…Satellite Laser Rangingの略。衛星レーザー測距のこと。衛星に取り付けられたリフレクタに向けてレーザーを照射して往復時間を計測し、衛星までの距離を測定する技術。きわめて高い高い精度で測定できるため、精密軌道決定や地球重力場観測などで用いられる。SLR局はこのための地上局のこと。
*3:海面高度観測衛星…気候変動などの解析に役立てる目的で海水面の高さを観測するため、衛星軌道から海面に向けてマイクロ波のパルスを発し、反射波をとらえて衛星軌道と海水面の距離を測定する衛星。NASAやCNESなどによるJasonシリーズ衛星などがある。
*4:重力場観測衛星…NASAとDLR(ドイツ航空宇宙センター)の共同ミッションであるGRACE(Gravity Recovery And Climate Experiment)などで運用している衛星。測地学的研究の目的で、軌道高度をもとに地球の重力を計測する。
*5:地球観測衛星「だいち2(ALOS-2)」…陸域観測技術衛星2号(Advanced Land Observing Satellite-2)。災害状況や森林分布の把握、地殻変動の計測などを行う衛星。暮らしの安全確保や地球規模の環境問題の解決などを目的としている。合成開口レーダー(Synthetic Aperture Radar:SAR)を用いて地表面のわずかな凹凸や傾斜をの変化を数cmの精度で検出。
*6:NICT(情報通信研究機構)…National Institute of Information and Communications Technology(国立研究開発法人情報通信研究機構)。電波の利用技術の研究開発や高度通信・放送研究開発をする機関への支援や事業振興を行うことで、電波の公平で能率的な利用を増進する目的で設立された、総務省所管の国立研究開発法人。
*7:「TAKUMI」…ユーザ衛星高精度軌道決定ツール。Tools for high Accurate orbit and clocK estimation Using Multi-GNSS Informationの略。
*8:光データ中継衛星(光データ中継衛星)…宇宙空間において高速光通信を行うときに中継基地となる衛星。光データ中継衛星はJapanese Data Relay Satelliteの略。2020年11月に打ち上げられ、約4万km離れた光地上局との間での光通信回線の確立に成功した。
*9:電離層…電離圏ともいう。地球の上層大気の層のひとつ。強い紫外線やX線によって大気成分の分子や原子が電離した状態にある。電波を反射するため、短波を使っての遠距離通信(短波放送など)に利用される。 *10:プラズマ圏…地球近傍の宇宙空間で、低エネルギーのプラズマによって構成される領域。地球の磁気圏の内側であり、電離層(電離圏)の外側に位置する。
*11:「MADOCA」…日本版GPSである準天頂衛星をはじめとする測位衛星の精密衛星軌道・クロック推定を行うソフトウェア。Multi-GNSS Advanced Demonstration tool for Orbit and Clock Analysisの略。