人工衛星との通信を確保して追跡管制を行うには、人工衛星が宇宙空間のどこを飛んでいるか正確に知る必要があります。そのための技術が軌道決定と軌道予測であり、この技術は衛星運用だけでなく、スペースデブリ等の軌道上物体との接近解析において重要な技術です。この技術の高度化を実現することは軌道力学チームの主要な仕事のひとつです。近年、民間企業による人工衛星の打上げが加速し、地球低軌道環境がより一層混雑化しており、日常の追跡管制に加えて軌道上物体同士の衝突リスクを正しく把握し、そのリスクを低減するための研究開発が欠かせません。追跡ネットワーク技術センターでは日常の運用と研究を並行して行い、密接に連携することで、成果をいち早く実運用に活かせるという他の部署にはあまり見られない特徴を持っています。
軌道予測時に考慮する誤差の情報を適正化する
軌道力学チームには大きく2つの業務ライン…日々の定常的な衛星運用に関わるラインとスペースデブリ等との接近解析や再突入解析を取り扱うラインがあります。私は後者のメンバであり、主に接近解析や再突入解析に関する研究開発を行なっています。軌道上物体との接近解析を行う際、軌道決定と軌道予測を行う必要がありますが、予測には誤差が含まれるため、この誤差を現実的な大きさに近づけることが重要です。軌道上物体を観測して軌道決定を行ったときに「これぐらいの誤差が含まれるだろう」という情報は出るのですが、JAXAのSSA解析システムをはじめ多くの場合は観測誤差しか考慮されておらず、この軌道決定値を使って軌道予測を行うと誤差の確度が低下します。これは、本来なら考慮したほうがよい軌道力学モデルや観測モデルの誤差が考慮されていないためです。この軌道予測誤差を現実的な大きさに近づけようというのが「Covariance Realism」…我々は「誤差共分散の適正化」と呼んでおり、私が取り組む研究のひとつです。
低軌道衛星にとって支配的な軌道外乱の1つである大気抵抗のモデリング
低軌道衛星にとって支配的な外乱の1つとして空気抵抗があります。「宇宙は真空」というイメージがありますが、大気は実は非常に高いところまで存在します。JAXAの低軌道衛星の多くは高度約800km以下を周回しますが、そのような高い高度でも大気が存在し、この大気による抵抗が軌道予測に大きな影響を与えます。この大気抵抗を正確に予測するためには大気密度を適切にモデリングすることが重要で、私が力を注いでいる研究の1つです。
大気抵抗を計算するため、これまで多くの大気密度モデルが作られていますが、軌道計算に採用されるモデルの多くは経験的モデル(過去のデータに基づいて平均的な大気密度値を計算するモデル)なので高精度な軌道予測には精度が不十分です。そこで実際に低軌道を周回している無数の軌道上物体の軌道履歴を利用して既存の経験的モデルを動的に補正して、その時間履歴からHS-DMDc等の手法を用いてシステム同定を実施し未来の大気密度分布を予測する方法を採用することによって大気密度モデリングに取り組んでいます。今後は最近整備が完了した上齋原スペースガードセンターのレーダで取得された観測データを取り込むことで、大気密度モデルの高度化に取り組む予定です。
SSAにも重要な軌道の精度向上
軌道決定や予測精度の向上は、先に述べたようにスペースデブリ問題でも重要です。JAXAでは新しいSSA(*1)システムが稼働開始しており、JAXAの観測システムの能力は世界的にも引けをとらないと感じています。ただ、精度の高い独自の軌道情報データベースを高頻度に構築・更新したい場合は日本上空(しかもレーダは上齋原の1局のみ)だけでは不十分なので、欧米で構築されているような世界規模のネットワーク(*2)が必要だと感じます。
さらに軌道決定や予測の面から課題もいくつか見えます。JAXA衛星とその他の軌道上物体との衝突リスクを考えるには、高精度な観測はもちろん重要ですがそれだけでは不十分です。その観測データに基づいた軌道決定と軌道予測の精度を上げて、適切なリスク評価を行う必要があります。JAXAのSSA解析システムはまだまだ改善の余地があり、先ほど述べた研究テーマ(誤差共分散の適正化と大気密度モデリング)等によって今後トップレベルの接近解析結果を出力できるようにしたいと私は考えています。そのためには世界最高レベルの観測データを研究者が自ら解析できるようにSSA解析システムの使い勝手を改善し、得られるデータを用いて現在進めている研究手法を実証することで、実運用システムへのフィードバックを行いたいと考えているところです。
未来を見すえたJAXAベンチャー立ち上げ
この2023年10月、SSAやデブリ問題に強い関心を持つ社内の仲間とともに、「Star Signal Solutions株式会社」というSSAに関するベンチャー事業を立ち上げました。Star Signal Solutions株式会社は他部署の仲間と設立した会社であり、組織の枠組みを超えた軽いフットワークでデブリ問題に取り組むことができます。
発端となったのはスタートラッカーを使ったデブリ観測とその軌道解析の検討でした。スタートラッカーとは人工衛星の装備のひとつで、姿勢決定のための小型望遠鏡です。衛星自身の姿勢を把握するために人工衛星から見た星の位置を調べるのですが、撮影したデータには星だけでなくデブリも写っていることがあります。無数の衛星で撮影した大量の情報を集積して解析すれば、デブリ観測の精度が向上できるのではと考えたのです。これまでの地上観測だけでなく、宇宙においても専用の人工衛星を打上げず、すでに軌道上に存在するスタートラッカーを搭載した人工衛星をデブリ問題に利用できるのではという試みです。Star Signal Solutions株式会社の事業では地上・軌道上観測データを利用して軌道決定・予測を行い、衝突のリスクを評価し、衛星の運用者に対して危険性と具体的な回避方法まで一貫して提供します。このスタートラッカーを使ったアイデアは、内閣府主催のS-Booster2021では審査員特別賞を受賞しており、その他のスタートアップ支援プログラムでも採択・表彰を受けるなど、様々なご支援を頂いています。
研究と直結した運用で成果を実感
このような研究を中心とした業務以外にも仕事の内容はさまざまです。特に最近は海外の宇宙機関との調整作業が多くなっています。追跡管制では国際的なデータ交換が多いのでフォーマットの申し合わせが必要なことがあったり、CCSDSやIADC(*3)のメンバーとして宇宙でのデータ通信やデブリ問題の国際的な協力に私が積極的に関わっているためです。この海外対応業務は研究と並ぶ主業務のひとつといえます。でも入社直後にはハードディスクの入れ替えや書棚の購入とか宇宙開発に直接関係しない契約業務などの仕事を多く任され、正直苦手でした(笑)。学生時代には、大学院で航空宇宙工学を専攻し、地元企業と協力してQSAT-EOS(*4)という衛星を開発・運用していた人間ですので、一般業務はしんどかったです。研究に憧れてJAXAを目指す方も少なくないと思いますが、学生から社会人になると研究以外にも必要な仕事が発生します。研究への過剰な期待だけで研究職を目指すと最初は戸惑うかもしれません。
ただ、この追跡ネットワーク技術センターならではのすばらしい面もあります。研究開発部門をはじめ研究を行う一般的な部署・チームは研究が主な業務なので、研究結果がどのように利用されていくのかはなかなか感じることができません。もちろん需要があって研究を行うわけですが、成果の使われ方やその後を追うことはだんだん難しくなります。しかし、追跡ネットワーク技術センターは衛星の運用と同時に、運用業務改善を目的とした研究を行っています。両方が隣接しているので、運用課題から研究テーマが生じ、研究結果を運用で活用して成果を評価するという循環があります。同じ部署の中で運用データと研究がそこまで直結している部署はJAXAではなかなかありません。研究は成果を活かせてこそ意味があると思いますが、それを日常的に目の当たりにできることは研究者にとって至上の喜びだと感じています。
軌道力学という研究分野は特殊性も高く、なかなか人材確保が難しい側面がありますし、実際に人手不足を感じることも少なくありません。運用と直結した研究活動がおもしろそうだと感じた方には、ぜひ追跡ネットワーク技術センターを目指していただきたいと思います!
*1:SSA…宇宙状況把握。Space(宇宙) Situational(状況) Awareness(把握)の略。運用が終了した衛星や打ち上げロケットの残骸や、これらが衝突してできた破片であるスペースデブリを観測でとらえ、軌道を決定して衛星との接近を推測する。
*2:欧米で構築されている世界規模のネットワーク…アメリカの米国宇宙監視ネットワーク(The United States Space Surveillance Network)や、ロシアを中心とした光学望遠鏡の観測ネットワークISON(International Scientific Optical Network)のほか、EUでもレーダーと望遠鏡設備が一緒になった観測体制(EUSST)が運営されている。
*3:CCSDSやIADC…CCSDS(Consultative Committee for Space Data System)は宇宙データシステム諮問委員会。1982年に設立された宇宙通信に関わる国際標準化検討委員会。IADC(Inter-Agency Debris Coordination Committee)は国際機関間スペースデブリ調整委員会。スペースデブリ研究者や関係者の情報交換・議論の場として設立された国際委員会。
*4:QSAT-EOS…2014年11月6日にロシアのヤースヌイ宇宙基地から小型地球観測衛星ASNAROとの相乗りでいくつかの衛星と同時に打ち上げられた超小型衛星。九州大学が中心となり地元企業と協力して開発。愛称「つくし」。微小デブリ観測、高精度宇宙天気予報や積乱雲成長などのリアルタイム観測などを目的とした。